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ライフハック

死別の悲しみを乗り越える

幻想的な船

みなさんこんにちは。
ひろです。
今日は皆さんに僕の父の話をしたいと思います。
こんな話をして誰のためになるのか、意味があるのかわかりませんが、ブログをするにあたって書かなければと思い、筆をとった次第です。

 

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はじめに

僕の父は10年ほど前に突然の事故により他界しました。
いまでこそ父の死は過去の事として消化できていますが、思い出すといまでも胸がえぐられるような気持になります。
肉親だけではなく大切の人の死は誰にでも起こりうることであり、それに対して僕たちは完全に無力です。
死別の悲しみを乗り越える具体的な手段などありません。
そのため、もしかするとこの記事自体が意味のない物かもしれません。
でも、不謹慎かもしれませんが、この記事を必要としている人のために書きます。

 

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命日からその後しばらく

ある日の早朝、僕は母の叫び声により目を覚ましました。
まどろみながらも、とても嫌な予感がしたのを覚えています。
母は僕の部屋に入り、警察から電話があった事、お父さんが行方不明になったことを僕に伝えました。
リビングに降りて警察からの再度連絡を待っていると、数十分後着信が入りました。
母は電話をとって何やら合図を打っていましたが、すぐに受話器を離して泣き崩れてしまいました。
代わりに僕が電話をとると、警察官の方は父の遺体が堤防付近の水面に浮いていたのを発見し、回収したことを僕に伝えました。
昨日までは職場の釣り仲間たちと釣りに行くと言って楽しそうにしていたのに、突然の死に訳が分かりませんでした。
何の約束も予兆も予告もなく、突然の死です。
両親の死など何十年も先の事だと勝手に思い込んでいた僕にとっては、まるで現実感を欠いたことでした。
しかし母がどうしようもない状態なので、とりあえず感情を殺して機械のように物事を進めなければと思い、兄や親戚、両親の友人たちに父の死と葬儀の場所と時間について連絡しました。
父が釣りに行っていたのは他県でした。
警察署について遺体の身元確認をしなければならなかったのですが、遺体を置いている部屋に通されると、ブルーシートに覆われている人くらいの大きさの膨らみがありました。
心の準備もできないままに、警察官の方がブルーシートを剥ぐと、そこには冷たくなった父の姿がありました。
堤防付近で波に揺られていたこともあり、顔や体に若干の切り傷がありましたが、明らかに父でした。
遺体を確認すると母は泣き叫び父の身体をペタペタ触っていましたが、とりあえず手続きをしなければいけないとのことで、母を引きはがし、負ぶって別の部屋に行きました。
この時母はどうやって移動したのか覚えていないと言います。
事件性はなさそうなのですが解剖をするべきか警察官から聞かれましたが、母は解剖はしてほしくないとの事でした。
葬儀はあっという間に終わり、日常生活が控えていましたが、僕は恐ろしくてたまりませんでした。
葬儀中は事務的にこなさなくてはいけないし、周りには親族や友人がいてくれます。
でも日常生活に戻れば、もう父が死んでいるという日々が続くのです。
母は毎日泣いていました。
人の命は平等ですが、そこに個人的な視点が入るとわけが変わってきます。
誰だって、知らない人の死・知っているけど嫌いな人の死・大切な人の死、が全て同じというわけではないでしょう。
僕たちにとって父は人格者であり頭も良くてほとんど完璧な人でした。
そんな父を僕は尊敬していましたし、母とはずっと仲睦まじくしていました。
そんな父の死だったので、我々にとってダメージは計り知れないものでした。
家には僕と母しかいませんでしたので、僕は泣かないようにしていました。
毎日自分の母親の泣き声を聞いているという生活は、本当に嫌な物です。
母も退職を数年後に控えた父と定年後はゆっくりとふたりでやりたいことをしながら過ごしていくと思っていたので、父の死を受け入れるのは非常に困難でした。
毎日のように父が死んだ理由を考えては泣いていました。
しかし何を考えても父が帰ってくるわけではありません。
父に似た体系の人が父が持っていたバイクに乗っていたので、よく見てみると、当然ですが父ではありません。
どうしても父が帰ってくるわけではありませんし、悲しみに抗おうとしても無駄なのでした。
色々考えてしまうかもしれないし、何も考えられないかもしれませんが、どうすることもできないので、時間に任せるしかありません。
それが最善であり、方法などないのです。
残された僕らは、とにかく思うように日々を過ごすしかないのです。
しばらくして、母を気にして気を張っていた僕のほうがダウンしてしまいました。
幸いちょうど大学卒業前のモラトリアム期間だったのですが、僕は1年半から2年ほどの間ほとんど何もできなくなってしまい、何も考えなかったり時々色々考えたりして、ずっと寝ていました。
いままでの父に感謝してわかったつもりになろうと思いましたが、それも無駄でした。
この期間のことは、あまりよく覚えていません。
ただ1階で母は泣き、それを聞きながら2階で僕は寝ていました。
そんな日々が続きました。

 

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犬を飼ってから

しかしずっとうじうじしていては何にも進まないということで、僕と兄で母に子犬を飼ってあげる事にしました。
犬の世話をしていれば気がまぎれるでしょうし、外に出ていくきっかけにもなります。
犬友もできて話し相手になるかもしれません。
そう思って犬を飼い始めました。
効果は予想以上に覿面で、徐々に母は明るさを取り戻していきました。
ドッグセラピーというものはとても効果があるみたいです。
僕も次第に癒され、衣食住以外のこともできるようになり、就職しました。

 

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時間による悲しみの風化

父の死に苦しんでいた期間中、色々なことを考えました。
世の中にはとんでもない悪人がいてのうのうと生きているのに、なぜ善人の父がこんなにも早く死んでしまうのか、とか。
死後の世界のこととか、神様はいるのかとか。
もし神様がいて人間の運命を決めているのなら、こんなにも早く父を死なせた意味はなんなのか、とか
どんな因果が働いてこんなことがおこってしまったのか、とか。
色々考えました。
でも、理由なんてわかりません。
神様の存在が不確かであれば、僕らはただの物理的な存在に過ぎないのです。
親戚の方々は、【神様は良い人を自分の近くに置きたがる】から父を連れて行った、と言いました。
そういう見方もできますし、ただ足を滑らせて海に落ちて死んだ、とすることもできます。
いまの僕にとっては、どれでもいいです。
ただ時間が父の死を過去のものにしてくれただけです。

 

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父の存在感

ただ、僕はひとつの考えに至りました。
父は確かに死にました。
肉体はなくなりましたが、遺伝子は僕のなかに生きています。
さらにミーム(模倣子)として生きています。
ミームとは概念なので肉体がありません。
ミームとは人から人に伝わるもの。
文化・習慣・風習・技術などの情報です。
有名どころで言えば初音ミクもインターネットミームです。
まるで命があるかのように僕らの脳内に住み着き、果てしなく増殖と移動を繰り返します。
僕ら日本人が挨拶の際にお辞儀をするのも、欧米人が握手をするのもミームです。
日本人のおじさんの多くが、人の目の前を通るときに屈みながら手刀をするのもミームです。
サンタさんもミームです。
毎年冬になると街並みを変えさせ、プレゼントを購入させたりして経済を回しています。
肉体がないのにもかかわらず。
生きていないのに明らかに肉体を持っている僕よりも影響力があり存在感があります。

同じように、父の残した習慣や考えや家族内での文化は母や我々兄弟に残り、生きています。
肉体は死んでいても、今もなお、肉体はあるけど会った事も無い知らない他人よりも、強く僕たちに影響を与えています。
全く知らない他人よりも存在感があるのです。
父は我々家族にとって、そういうものになったのだと思います。
そういう風に考えると神様もミームの一種です。
肉体が消え去っても、僕の記憶や習慣のなかに父はいます。
そう考えると、気持ちが少し楽になりました。

 

最後に

愛別離苦の苦しみは計り知れないものです。
例え死別でなくても、大切な人であればあるほど、別れは心に傷をつけます。
心なんて実体がないのだから傷など付かないと思ってみても、辛いものは辛いのです。
それでも僕たちはうじうじしながらでも生きていくしかないのです。
ああでもない、こうでもない、と色々考えたり立ち止まったりしながら、生きるしかないのです。
様々なことを肯定したり、否定したり、色々しているうちに、悲しみは和らいでいきます。
忘れるわけではありません。
でも人間の精神には、嫌な思い出を忘れるようにする機能があると言います。
その機能のせいか、僕の心も落ち着き、父のことで涙することは今はもうありません。
わざわざこんなことを言うのもなんですが、別れの悲しみ苦しみから逃れるすべはありません。
ありませんけど、自分の力ではどうにもできないですけど、生きていればやがて楽になります。
父の死からおよそ10年たち、僕の生活はまぁまぁ変わりました。
孫を見せたり旅行をプレゼントしたりはできませんでしたが、最後に一緒に酒を飲めたのは、よかったと思います。
結婚しても夫婦仲が悪ければ地獄、かつての両親のように夫婦仲が良くても片方が死んでしまえばそれも地獄、結婚は地獄だなぁと思っていましたが、時間のおかげか僕にも心境の変化が起こり、2018年に結婚しました。
結婚して1年たち、父のことを考える事が多くなったなと思う次第です。
この文章が誰のためになったのかわかりませんが、僕は書きたいと思って書きました。
こんなどうしようもないようなことを書きましたが、もし誰かのためになったのであれば、この上ない幸せです。
それでは今日はこの辺で。
さよなら。

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  • この記事を書いた人

ヒロ

Webマーケティング会社でマーケターやってます。自社とクライアントのメディアのグロースやってます。このブログは主に力抜いて思うことを書く場としています。たまにマーケティングのノウハウとか書きます。

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