皆さんこんにちは
ひろです。
突然ですが、皆さんには夢がありますか?
子供のころから持っていた夢をまだ持ち続けていますか?
もしくはもう夢を叶えましたか?
色々変化はしましたが、僕にも夢があります。
細かいことを言うとたくさんありますので、こちらを読んでいただければと思いますが、平たく言うと【経済的時間的自由を手に入れる】が僕の夢です。
そのためにいまブログを書き、株や不動産を学んでいるのです。
でもこの夢は別に僕が小さい頃からずっと持ち続けていた夢ではありません。
現在(2019年2月28日)は30歳ですが、この夢を持ち始めたのは19歳くらいの時でしたし、模索し始めたのは25歳くらいからですし、株や不動産を勉強し始めたのは27歳か28歳くらいからです。
ブログに至っては今年の1月末に始めたばかりなので、まだ1か月しか経っていません。
我ながらなんともまぁ歩みの遅いものだと思いますが、迂回しながらもここまでこられて今は良かったと思っています。
そんな僕ですので、昔は持っていたけどもう夢ではなくなった夢がいくつかあります。
叶った夢や、諦めた夢。
30年生きてきたので、人並みに挫折や諦めをいくつか経験しました。
過去を振り返って諦めた夢について思い出すとき、ふと感じたことがあります。
あの夢たちを、僕は本当に実現したかったのだろうか?
というのも、叶わなかった夢を考えてみた時に、あまり悔しくなかったからなんですね。
どちらかというと、知識や行動力がついて今の方が強欲になったのにそう思うのです。
以前ノートにも書いて考えてみたことですが、面白いテーマなので再考してみたいと思った次第です。
この記事を読んで、もし過去の呪縛から解き放たれたり、今の自分の人生を肯定的に考えられるようになってくれたら幸いです。
とりあえず、なんでそうなりたかったのか。
叶わなかった夢は、本当に必要だったのか。
検証していきたいと思います。
目次
彼女と同棲する
これは中学生の頃に考えていた夢です。中学生の頃にできた彼女と僕は、将来大学生になったら一緒に住もうねなんて言っていました(笑)
将来といっても、14歳の中学生と18歳の大学生は4歳しか変わりませんが、当時中学生の僕にとって大学生というのは遠い将来の話で、大人でした。
いまではもう別の人と結婚し妻帯者となった身ですので、同棲の夢も糞もなくすっとばしてしまっているわけですが、当時の僕にとっては同棲、それが夢だったのです。
今になって考えるとただエロいことをしたかっただけだと思いますが(笑)
彼女と結婚する
これも中学の頃に考えていた夢です。
上記した彼女と当時の僕は結婚したいなと思っていました。
両親がはじめての彼氏彼女で結婚したというのもあって憧れがあったのもあります。
今になって考えると、かなり博打的要素が強い夢だなと思います(笑)
というのも、当時中学生の僕の彼女は校内でもかなり美人の方だったわけですが、別れた後に大学生になって再会すると、かなり顔が変わって当時の可愛さはなくなってしまっていました。
しかもいざ接合する時になって分かったのですが、おまんちょすがかなりのスメーリーだったのです。
当時の僕はその子の事をまだ好きだったので、がんばりました。でも死んだザリガニの臭いのするキャッチャーミットを愛でることはできませんでした。
その後僕の右人差し指と中指は死に絶え、一週間臭いが取れませんでした。
まだまだ女性のサンプル数の少なかった僕ですが、地球上の女性のキャッチャーミットがあんな臭いだったら、人類はここまで繁殖できていないだろうと仮説を立て、多くあるサンプルのただの1つとして考えることができました。
もしあのままあの彼女と別れずに同棲していたら、僕は1週間くらいでシュールストレミングになっていたことでしょう。本当に恐ろしいです。
いまでもSNSで繋がっているのでたまに近況を見る事があるのですが、旦那さんの愚痴をSNSに書き込んでいるのを見たりすると、うーん、という感じです。
もしかしてあのまま付き合い続けて結婚まで行っていたら、あの愚痴は僕に向けられていたのかもしれない、とちょっと思いました。
バスケの日本代表・プロになる
これも中学生くらいまで持っていた夢です。
実際になっていたら感じ方もいまとは全く違うのでしょうが、いまとなってはこの夢こそ叶わなくて良かったなと思います。
スポーツ選手というのは若い頃しかなれませんし、引退してからの人生の方が長いわけです。だいたい30歳ではもうベテランです。
昔からスポーツ選手が夢や希望を与えるとか全く思っていなかったですし、むしろいつ怪我をして戦力外通告されるかわからないのはかなりシビアだと思います。
怪我をしなくても実力不足で戦力外になるかもしれませんし、収入も安定しません。
僕は高校時代には強豪校にいて、僕と同じ学校の出身者にはプロ選手が何人もいます。
つまり僕は選手としては落ちこぼれだったわけですが、そのおかげでいろんなことを勉強しようという方向にスイッチできました。
プロスポーツ選手はとても華々しく映ります。
でもそれは18歳くらいから長くても35歳くらいまで。
20年活躍できたら確実にレジェンドです。
ほとんどの人が数年でプロ選手としてのキャリアを終えます。
種目によって違うでしょうが、だいたいそれくらいです。
その後指導者になれたら御の字ですが、それも狭き門なので、ほとんどの人は完全に別の道に進みます。日本代表になっても、いまは一般企業の会社員とか普通です。
スポーツはお金になるので世界中であまり言わないかもしれませんが、引退した後の生活などについてきちんと学生の選手たちに教育した方がいいと思います。
アメリカなどでは部活生でも勉強の方の試験に受からないと試合に出られないなど厳しくなっていますが、日本ではあまり聞いたことがありません。
小説を出版する
これはもう夢ではありません。
諦めたとかではなく、誰でもできるようになったからです。
今はデジタル書籍を販売できます。
紙の書籍の場合は部数にもよりますが自費出版なら数十万から数百万円は必要です。
新人賞に応募して賞をとるなら、実力やクオリティが認められ売られやすくなります。
しかし時間もかかるし敷居が高く、内容を修正される可能性があることは否めません。
それに利益の何パーセントかを出版社等に持って行かれるので、かなりの部数を売らなければならないでしょう。
しかし一度売れてもまた売れるとは限りません。
毎年新しい作家が生まれては消えていきます。
それほど厳しいことなのです。
対して、個人でデジタル書籍を販売するなら利益率が高いまま低価格で売れます。
宣伝等は自分でしなければならないデメリットはありますが、出版だけを考えるなら敷居は比べ物にならないほど低くなりました。
とてもいい時代になったものです。
【本を出したい】という願望にも色々あります。
【新人賞を取って、紙の本を書店に並べてたくさんの人に読まれる】だったら狭き門ですが、【電子書籍をkindleなどで販売する】ならハードルはグンと下がります。
今は本を完結させてネット上での販売の方法を調べれば、誰だってできる時代です。
よくよく考えれば、僕は頭の中にある物語を文字という形にして生み出したかったのと、それを何人かに読んでもらえれば良かったのと、欲を言うならそれが有料で配布できたらいいなくらいに思っていただけなので、わざわざ新人賞に応募する必要はなかったわけです。
専業小説家なんて不安定な職業、苦しくて絶対なりたくないですし、毎日小説を書き続けたいわけでもありません。書きたい事を書きたいのです。
プロ作家になったらなったで楽しいかもしれないのですが、辛く厳しい世界なのだろうなといまならわかります。
まとめ
夢や目標というのは変わるし、変わっていいと思います。
年を取って知識や感性が変わってくるので、夢や目標が変わるのも当たり前っちゃ当たり前のことですね。
夢や目標は、幸福感・満足感を得るための手段でしかないと思います。
その物事を達成したいのではなく、その先にある幸福感を得るのが本当の目的なのです。
目的と手段がごっちゃになるから、実際に夢を叶えた時に、意外と幸せじゃなかったりする。
だから、やりたいことや目標があったら、なぜそれをしたいのか深堀することをおすすめします。
人生万事塞翁が馬とはよく言ったもので、人生何が原因で挫折したり助けられたりするかわかりません。
一見不幸な出来事のようでも後にそれが理由で助けられたとか、逆もまた然り。
例えば、旅行に行くはずが骨折して不幸だと思っていたら旅行先で大災害が起こって死なずに済んだとか。
宝くじが大当たりして高級車を買ったけど交通事故を起こしてしまったとか。
挙げればキリがないですけど、人生何が原因で助けられたり不幸になったりするかわかりません。
一瞬の幸福感や不幸感は主観的な印象でしかなく、事実ではありません。
その不幸な事象は貴方にとって、その瞬間は不幸に見えているだけなのです。
だから、夢が叶わなくても、失敗しても良いと思います。
その瞬間は落ち込んでも、絶望する必要は全くありません。
僕が当時の辛かったことに対して今思うことは、色々あったけどまぁええか。
そんな感じです。
意識すべきは、色々あったけど今こうして生きているし、希望を抱くエネルギーがあるということでしょう。
わざわざこんな文章を長々と読んでいられるのは、貴方が元気だからです。
僕は夢を持つことを否定するわけではありません。
ただ夢が叶わなくてもそれに対して一喜一憂する必要はないと言いたいのです。
他に新しい夢ができたらそれでもいいし、生きているだけで丸儲けを基本とし、新しいやりたいことのためにまた歩んで行けばいいだけなのです。
道を変えても、日々充実しているというゴールが一緒なら良いと思います。
迷うのも大いにありですし、それも必要だからそうなっているのです。
そう考えると全て偶然であり必然のような気がしてきます。
色々書きましたが、人間の良い所は他の動物と違って将来の事を考えられることです。
せっかく人間として生まれたのだから、やりたいことのために今を大切に生きたいと思います。
思考が錯綜して駄文が続きましたが、読んでいただいてありがとうございます。
それではまた。
さよなら。